Soumeijuku’s Blog

SOUMEI塾の風景

ときには眠い目をこすりながら

中学校では部活も再開されていますね。

特に運動部の子たちは、

休校期間中、体がなまっていたでしょうから

体力的にもきついかもしれません。

 

塾生も、疲れている様子が見えますが、

夜遅くまでの授業にもかかわらず

健気に頑張ってくれています。

 

途中ウトウトする子もたまにいますが、

私が注意など何もしなくても、

眠い目をこすりながら頑張っています。

そんな姿を見ると、

応援してあげたい気持ちが

大きくなります。

自主性を育てるために

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子どもの自主性を尊重することが重要だと言われます。

 

私も、子どもの自主性を育てるということについては、

理念の重要な要素として大切にしています。

 

しかし、一筋縄ではいかないころもあります。

 

大人が子ともに対して過干渉では、

自主性が育つはずはありません。

 

逆に、「自主性を育てるため」という言葉が

放任の口実として使われることもあります。

その子自身をちゃんと見ずに、

単なる放任では子どもはうまく育ちません。

 

(過干渉や放任についはまた別のときに

しっかり書きたいと思います。)

 

自主性を育てるためには、

その子自身をちゃんと見ることを大前提として、

干渉し過ぎず、

その上で、適度なサポートが必要です。

 

「適度」は、その子その子によって異なるので、

どんなサポートがどの程度必要か、

それらのさじ加減は難しいところがあります。

 

教育者としては、そこが腕の見せどころだと思っています。

 

親心からすると、子どもに、

つい手を貸したり、口を出したり、

先回りしたりしてしまうことが多いと思います。

 

過干渉気味になりがちだと思います。

「老婆心」ですね。

 

もし、自分が子どもに過干渉気味だな、と気づき、

過干渉をやめようというときには、

手や口を出そうとしてしまう衝動を我慢する必要があります。

待つことや見守ることが必要です。

 

これも難しいことだと思いますが、

まずは、その子をちゃんと見ることで、

自分の気持ちに余裕ができるので、

今どんなサポートが必要なのか判断しやすくなります。

 

また、次のことも気をつけたいです。

 

子どもに

「あなたはあなたがしたいようにすればいいんだよ」

と伝えていながら、

 

子どもが意に沿わない言動をしたときに、

ため息をついたり、悲しい顔をしたり、不機嫌になったりすると、

 

そんな大人の反応を、子どもは大いに気にします。

それも無意識に。

 

言葉で何と言われようと、

ため息などのインパクトは大きいです。

 

子どもは、したいようにして良いと言われていたのに、

「ダメなの?」「どうすればいいの?」と迷ったり、

それだけでなく、

 

「やっぱり自分で決めちゃダメなんだ」とか

「自分は親から認められないダメな子なんだ」と、

自分の評価を下げ、自信を失って、

ますます委縮して自分から動けなくなります。

 

そんなふうにならないためにも、

子どものことをよく見て、

1㎜の成長をともに喜んだり、

「こんなことを考えているんだね」

「こんなことが好きなんだ」と、

子どもの意外な一面に驚き楽しみながら、

子どもと関わっていきたいです。

 

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机の掃除

塾生は、授業後自分が使った机の上の消しカスなどを

掃除して帰ります。

 

これは、私がやれと言ったことは一度もないのですが、

自然にみんなやってくれるようになりました。

とてもありがたいことです。

 

たまにし忘れる子もいるのですが、

 

今日Sさんは、自分の席だけでなく、

その忘れた子の席の掃除もしてくれました。

 

自然にそういうことができるって素敵だと思います。

自己肯定感と他者信頼感

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子どもの教育においても、

「自己肯定感」と「他者信頼感」を育むことが大切と言われます。

流行りの心理学用語の一つですね。

 

これらの用語の明確な定義はどうも定まってないようですが、

専門家のお話や、一般に使われている意味からすると、

自己肯定感と他者信頼感が高い子どもは伸びやすい、

というのはその通りだと思います。

 

勉強においても力をつけやすいです。

 

自己肯定感が高いというのは、

自分のことを

「大切な存在」「人から大切にされる存在」

だと思えている状態。

 

自分のことをそう認識するようになったのは、

周りから大切にされる経験からでしょう。

 

以前にも書きました。

soumeijuku.hatenablog.com

 

「他者信頼感」も同じですね。

 

さいころから周りの人から大切にされてきたなら、

自分のことを「大切な存在」だと思うのと同時に、

周りの人に対して、

人周りの人=「私を大切にしてくれる人」

というイメージができるでしょう。

 

それはすなわち、「他者信頼感」。

 

このイメージがある人は、

コミュニケーションが上手になるに違いありません。

 

つまり、周りの大人が、その子を大切に扱うことが、

その子の「自己肯定感」、「他者信頼感」

のどちらも育んでいくことになります。

 

大切に扱う、というのは、

ちゃんと見るところから始まります。

 

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勉強嫌いの子どもができる訳

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子どもの勉強嫌いは、

小学校の低学年のうちはまだ少ないですが、

 高学年になるころには、かなりな割合で発生しているように感じます。

 

小さい頃は新しいことを覚えることが楽しいし、

できないことができるようになったら嬉しいし、

「なんで?」「どうして?」と疑問を持ったら、

その理由・原因を知って、

周りの世界を理解することが大好きです。

 

勉強の本質はそれなので、

もともとは、勉強=楽しいもの・嬉しいもの、

というプラスのイメージのはずです。

 

しかし、勉強が嫌いということは、

勉強に対するイメージが、

いつのころからか、面倒、苦手、苦痛なもの、

というマイナスのイメージに置き換わったということです。

 

なぜそうなるのでしょう?

 

やはりそれは、

第一に、周りからの負の刺激でしょう。

 

『苦手意識は思い込み』でも書きましたが、

 

soumeijuku.hatenablog.com

 

特に、できなかったとき、間違えたときの負の刺激が大きいでしょう。

 

もっと幼いころなら、

勉強で正解したときに、

近くの大人が一緒に喜んだり、

褒めてくれたりしてくれていたのが、

 

だんだん、できて当たり前、

正解して当たり前になって、

大人のリアクションが薄くなる。

 

逆に、間違うと、目の前の大人ががっかりするし、

怒られたり、

ダメだしされたり、

笑われたり…。

 

人間の脳は、

プラスの刺激よりもマイナスの刺激の方が何倍も

印象に残りやすくできています。

 

なおさら、勉強とマイナスのイメージが結びつかざるを得ません。

 

学校の勉強や受験では、今のところ、

決まった正解を求める問題がほとんどです。

 

今度の大学入試改革で多少シフトはあるようですが、

試験の中で、正解が決まっている問題が

大半を占めるのは変わらないだろうと思います。

 

小さいうちから、家庭でも学校でも、

常に正解を求められる。

不正解だと、マイナスの刺激がある。

 

すると、「間違ってはいけない」という思いも強くなります。

 「間違ってはいけない」のに間違ってしまったら、

自分の評価を下げざるを得ません。

 

さらに、近くの大人は、負の刺激を与えて、

それに追い打ちをかけてしまいがちです。

そんなことを毎日繰り返されてきているうちに、

勉強=楽しいもの・嬉しいもの

だったということは忘れ去られていきます。

 

しかし、子どもがどんなに勉強嫌いになったとしても、

 

できなかったことができたりしたら、嬉しそうな顔をします。

そして、それを褒められたら嬉しいのです。

一緒に喜んでもらったら嬉しいのです。

勉強に対するイメージは、

元に戻る余地があるのです。

 

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